権威と正義をまとった裸の王様
やっと終わりましたね… 長い半年でした。
Xでは圧倒的大多数から大絶賛されている「虎に翼」ですが
私の中では間違いなくワースト1です。
今まで半青を抜くことは無かったのですが、ぶっちぎりで第一位です。
まあ、私の方がマイノリティなのでしょう。
やたら今作を褒めちぎる人たちが、批判している人たちの口をふさごうとしているとき、共通していることがあります。
以下、極端な意見を見かけて、
今件の問題を凝縮しているような内容だったので、ちょっとまとめてみます。
(なるべく文意をいじらないよう改変しています)
NHKさんが認めている素晴らしい脚本家さんの書いた脚本なのに。
数多くのプロの批評家やクリエイターが賞賛しているのに。
ここまで世間の一般層や業界人たちがこぞって評価してるのに、
未だにこういうことを言う人たちって、
【私は価値がわからない人間です】って言ってるようなもの。
評論家気取りの一般人…というか主婦?
虎に翼を嫌いな人を尊重して社会になんのメリットがあるのよ。
わざわざ嫌なこと投稿するのが謎w
胸に閉まっとけ。それかお茶の間で話しとけよ。
すごい権威主義ですね。
ですが、これ、端的に言うと
「お前らの意見は尊重しない、黙れ」ということですから
憲法第二十一条に違反しています。
表現の自由の侵害にあたります。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
そもそもこんなことを言う権利は、この人にもありませんが。
さて、このドラマの主題とは何でしたっけ?
確か、寅子は、弁護士になった時に
「男女関係なくすべての人を救います!」って豪語していましたよね。
これは、モデルになった三淵さんもインタビューで仰っていました。彼女は穏やかに、暖かく、しかし凛とした声で、ハッキリと仰っていましたよ。
彼女がこれを聞いたらどういうのかな…と思いますね。
まあ亡くなった彼女の心境など、誰ひとりとして断定することは出来ませんが。
もちろん、脚本家もね。
さて、虎に翼。
私もいろいろとここでまとめて疲れたので、なるべくシンプルに総括したいと思います。
まず全体的に言えること。
この話には、根底に愛がありません。
他者に対しての愛情がかけらもない。
だから人をコマとしか見ることが出来ない。
おそらく自分だけを愛している…のですが、そもそも愛とは双方向なもののはずで、それが一方的である以上、それはもう「愛」とは呼べないのです。
社会を知らない(特に出版関係以外の仕事に対しての描写がお粗末すぎる)駄々っ子が、この世に存在しない絵空事を、お絵描き帳でグリグリと書いたもの。
「これは使える」と思った文言のカケラを切り取りコラージュしたもの。
断片だけ見たら美しく優しい言葉もありますが、よく見たら、
それは心から出た言葉ではなく
「良かった言葉」を張り合わせただけの、切れ端。
このドラマ「みたいなもの」は、その切れ端を使った
張り子の虎、のようなもの。
コラージュだから、中身がない。
お題目と結果の間の経過描写がごっそり抜けている。
だから言葉が浮いてしまうのです。
AIを使ったんじゃないのかな、これ?
本気でそう思っています。
エクセルのほうが なんぼかましです。
過去の私のポストを読み返したのですが、最初の1ヶ月はまだドラマの体裁を保っていましたし、違和感を抱きつつも楽しく視聴していました。
それが狂い出したのは、暴力が肯定されはじめたあたり。
決定的になったのは直言の臨終シーン。
さらに最悪を更新する花束渡さない祝賀会事件。
後半は、箇条書きで時事ネタが入り、仕事内容ではなく
ねちっこい恋愛のようなものの茶番を見せられ、
最後の方は、長台詞で一方的な演説を数分間聞かされることが増えました。
もうこれは、脚本だけの問題ではなく、総括の問題だと思います。
ハンドリングがなってません。
これはあくまでも私が感じた感想です。
虎に翼を楽しく視聴していた人も多くいるのは知っています。
多分それは、
「このドラマがそう言っているから、そうなんだ。」
「ネコって言ってるからネコなんだ」
「愛って言ってるから愛なんだ!」
と、納得なさっているからでしょう。
それは虎に翼にどっぷりはまれた、ということなので、それはそれで良いのではないでしょうか。おめでとうございます。
ただ、私はもう一つだけ言いたい。
割とこのドラマみたいなものは、いろいろと禁じ手を出しています。
それは、
一見して正義的なことを振り回し、批判者の口を塞ごうとすること。
批判するとしたら、それは批判する人の中に原因があると言い、罪悪感を抱かせて、口を塞ぐのです。
これを一般的に「モラル・ハラスメント」といいます。
脚本家が先にSNSで言い、信者もそれに倣って「お前たちは差別者だ!」と、気に入らない人の口を塞ごうと躍起になってます。
誰だって「差別している」と言われていることは怖い。
欧米でも、これはキラーフレーズになっているらしいです。
だからこの動画を批判しない、できない。
ちゃんとわかってますよーという姿勢になってしまう。
怖いですねえ。
いやそんなことはない?
そうですか。それならいいのですが…
…本当に、そうでしょうかね…?
わざわざ尺を取ってまで、オリキャラの美佐江を出してきたことの意味を、いろいろと勘ぐってしまいますね。
手のひらで転がすとか言ってましたよね…
そうそう、
出演者の皆さんは素晴らしいと思います!
なんとか半年完走したのも、皆さんの名演技のおかげです。
ありがとうございました。
序盤、特に優三さんは、演技力で脚本の無いところをすごくカバーされていました。他の方もそう。愛すべきキャラクターへと成長していて、ドラマとは脚本だけではないのだな、という底力のようなものを見せて頂いたと思います。
でもそれは脚本側からは「思いがけない」ことでもあったようで。
…だから、演技の入りようのない、長台詞演説が増えたのだと推察します。
伊藤沙莉さんには、心からお疲れ様でしたと言いたいです。
雨垂れ石を穿つ…とは?
拙ブログの別記事にも書きましたが
虎に翼を与えるなかれ - 八咫烏ジラフィーヌの記録帳「雨垂れ石を穿つ」
「雨垂れ石を穿つ」について。
最終回を見てのけぞりました。
反響があまりに大きかったせいでしょうか。
最後に言い繕っています。
でも結局それも「焼け石に水」。
矛盾は最後まで解消しませんでしたね。お疲れ様でした。
今回の誤用について、前記事より更に拡大して経緯を追っていきましょう。
目次
雨垂れ = 犠牲という脚本家の誤認識
38話より引用
穂高:お医者様は 貧血じゃないかと言っていたんだが…
寅子:先生 私は どうすればいいのでしょうか。
穂高:ん?
寅子:実は 私 子供を授かりまして。
(嬉しそうな顔をする穂高)
でも、まさか 久保田先輩も中山先輩も
おやめになるとは思いもしなくて。
本当は 辛くて辛くてたまらないんです。
でも 私がここで頑張らないと。
やめていった仲間の分もと 思ってはいるのですが。穂高:君 それは 仕事なんかしている場合じゃないだろ。
寅子:はて?
穂高:結婚した以上 君の第一の務めは何だね?
子を産み 良き母になることじゃないのかね?寅子:お言葉ですが先生 私が 今 ここで立ち止まれば
婦人たちが 法曹界に携わる道が
途絶えることになってしまいます 違いますか?穂高:うん そうだね。
寅子:だから 私 せめて出産ギリギリまでは 働きたいんです
出産後も なるべく早く復帰して
世の中を変えるべく 法廷に立ちたいんです。穂高:いやいや 世の中 そう簡単には変わらんよ
「雨垂れ石を穿つ」だよ 佐田君。
君の犠牲は 決して無駄にはならない。寅子:つまり 先生は…
私は石を砕けない 雨垂れの一粒でしかない。
無念のまま 消えていくしかない…。 そう お考えですか?穂高:人には その時代 時代ごとの 天命というものがあってだね…
寅子:こうなることが分かっていて 私を女子部に誘ったのですか?
私たちに 世の中を変える力があると
信じてくださったのではないのですか?穂高:だからだね また君の次の世代が きっと活躍を…
寅子:私は 今「私の話」をしてるんです!
穂高:落ち着かないか。あまり大声を出すと、お腹の中の赤ん坊が驚いてしまうよ。
(寅子、目をそらして)
寅子:ハアッ…(小声で吐き捨てるように)何じゃそりゃ。
(家族が心配していますので、と
慇懃無礼にお詫びとお礼をいって退室。ドアバーン!)
さて、この台詞でおかしいのは穂高先生の言う「犠牲」です。
「雨垂れ石を穿つ」とは、たとえ小さな力でも粘り強く積み重ねていけば、成果を得られることを意味する言葉です。例えその力は僅かでも、確実に「石」が砕かれるための力を与えている。だからその努力は小さくとも確実に効果を上げている、という前向きな意味で使われる言葉です。
「雨垂れ石を穿つ」は「雨垂れ」は「石をえぐっている」ので、雨垂れは決して無駄な犠牲にはなっていないのです。
実際、ドラマ上でも、寅子は弁護士として「活躍」しています(実際の活躍の描写はされておらず結果のみですが)。後に続く女性たちに確実な影響を与えています。この時点で「うがって」いるのです。道筋をつけているのです。
それとも寅子=脚本家は、たった一人で根本的に社会を変えることができる、もっと派手な成果を上げて人から崇められるような、輝く存在にならないといけない…とでも考えているのでしょうか。
何年もかけて何度も挑戦して変えていかなければならないものを、たった一人で出来るわけがありません。
それが出来ないと「無駄な犠牲」だとみなすのでしょうか。
そして「こうなることが分かっていて私を女子部に誘ったのですか?」と、自分が選んだ選択を、穂高先生が「強いた」ことにしてしまうのでしょうか。
少なくとも、脚本家と寅子はそう思っているようですが、客観的に見て怖い思考です。完全なる他責思考です。
そこには何もない荒野を切り開く逞しさはなく、レールを敷いてくれなくて酷い!と駄々をこねる幼児のようにしか見えません。
分水嶺となった退任記念祝賀会のシーン
69話より引用
(退任記念祝賀会にて 憮然とした表情の寅子
笑顔の穂高が駆け寄る)(めちゃくちゃ可愛い)穂高:佐田君!今日はありがとう!
本当にありがとう。寅子:先生、ご苦労さまでした。
(中に促される穂高)
穂高:じゃあ あとでゆっくり話そう。ね?
桂場:見ただろう あの先生の嬉しそうな顔。
(挨拶を始める穂高)
穂高:前 最高裁長官 星 朋彦先生は
ご自身と私のことを
出涸らしと おっしゃった。
もう 人生を 頑張り尽くし 時代も変わって
役目を終えた存在だと。でも 出涸らしにだからこそできる役目
若い者たちに残せることがあると。こういう会を開いていただけるというのも
出涸らしとして 最後まで 自分の役目を果たすことが
できたからなのかなと。そう思おうと思った。
法律を一生の仕事と決めた時から
旧民法に異を唱え
ご婦人や弱きものたちのために 声を上げてきたつもりだった。
もっと何かできることが あったのではないのか。ご婦人の社会進出
新民法のうたう本当の意味での平等
尊属殺の重罰規定の違憲性…。出涸らしも何も 昔から私は
自分の役目なんぞ 果たしていなかったのかもしれない。(寅子の回想)
穂高:君のような優秀な女性が 学ぶにふさわしい場所だ。(花束に涙がこぼれ落ちる)
穂高:結局 私は 大岩に落ちた雨垂れの
一滴 -ひとしずく- にすぎなかった…。でも 何くそと もう一踏ん張りするには 私は老い過ぎた。
諸君 あとのことは よろしく頼む。
本日は本当に ありがとう。(拍手)
(花束を横の多岐川に押し付ける寅子)
寅子:多岐川さん、お願いします
多岐川:おい!おい!おい!
(つかつかと会場から出る寅子)
(その様子を見て狼狽する穂高)(中略)
桂場:ガキ!何を考えてるんだ!
(会場から出てきてオロオロする穂高)
穂高:佐田くん。
(睨みつける寅子)
桂場:佐田くん!
寅子:謝りませんよ、私は。
桂場:お前な…。
寅子:先生のひと事で心が折れても
そのあと気まずくても感謝と尊敬はしていました。「世の中そういうもの」と流される辛さを知る
それでも 理想のために 周りを納得させようと
ふんばる側の 人間だと思っていたから。私は最後の最後で 花束で
あの日のことを
「そういうものだ」と流せません。先生に 自分も雨垂れの一滴なんて
言ってほしくありません!穂高:ああ~っ! はあ~っ!
謝っても駄目。反省しても駄目。
じゃあ 私は どうすればいい?!寅子:どうもできませんよ!
先生が女子部をつくり、女性弁護士を誕生させた功績と同じように
女子部の我々に「報われなくても一滴の雨垂れでいろ」と強いて
その結果 歴史にも記録にも残らない雨垂れを
無数に生み出したことも!だから私も 先生に感謝はしますが、許さない。
納得できない花束は渡さない!
「世の中そういうものだ」と流されない。
それでいいじゃないですか! 以上です!
脚本家も制作側も、一番好きと言って憚らないこの「花束を渡さない」シーンですが、どう受け取るかで、視聴者の反応がはっきり分かれたと言っても過言ではない場面です。
こうやって文字起こしをして、何度読んでも…私には理解できません。
まず寅子の言う「あの日のこと」がわからない。
先程の38話のことでしょうか。
あと、寅子は穂高先生の功罪をこう述べています。
功績として
- 女子部をつくった
- 女性弁護士を誕生させた
罪として
- 女子部の我々に「報われなくても一滴の雨垂れでいろ」と強いた
- 歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出した
花束を渡すことは、穂高先生の功績のみを称えることと同じこと。それは納得できない、だから花束を渡せない という意味らしいです。
しかしここで疑問が生じます。
先にも述べましたが、穂高先生は「報われなくとも雨垂れでいろ」などと「強いて」いません。先のシーンも、あくまでも先に体調を崩してしまった寅子に対し、母子ともに気遣う発言の一部です。
そして女子部のほとんどが諸事情でやめてしまったこと。作劇上、彼女たちはそれぞれ挫折して(不自然な展開が多かった)、無念のうちに道から外れています。しかしそれを穂高先生のせいにするのは、逆恨みにもほどがあります。
パイオニアが歩む厳しい茨の道であるということは、それこそ大学の門を叩いた時からわかっていたはずのことです。女子たちがそれでも選択したという自由意志を、全否定するつもりなのでしょうか。
しかも史実では、先輩たちはしっかり現役で頑張っていて、地方での希望の星として輝いていたものを、ドラマの都合で「消して」しまった。それはこのドラマの脚本家であり、制作側です。
インタビューやシナリオ集の感想から漏れ聞く情報によると、この花束シーンには、本当なら、演説中に穂高先生が寅子に謝るシーンが在るらしいのです。そのあと花束を渡すと、彼を赦すことになるから嫌だった、という展開らしいのですが…
それもまた変な話です。とにかく、前提がおかしいのですから。
「赦すも赦さないなにも、穂高先生には明確な落ち度がない」と判断する視聴者は、このシーンから視聴をやめたり、批判の姿勢に転じています。
そこで納得できる視聴者との分断や温度差が生じています。
最終回で「雨垂れ」を「光栄」と
さて、最終回。
散々怒りの起爆剤として用いた「雨垂れ石を穿つ」
さすがに触れないだろうと思っていたら、最後に触れてきました。
130話より引用
桂場:私は今でも 御婦人が法律を学ぶことも、職にすることも反対だ。
法を知れば知るほど ご婦人たちは この社会が不平等で
いびつで おかしいことに 傷つき苦しむ。
そんな社会に異を唱えて 何か動いたとしても
社会は動かないし変わらん。
寅子:でも 今 変わらなくても
その声が いつか何かを変えるかもしれない。
桂場:フッ… 君は あれだけ
石を穿つことのできない雨垂れは嫌だと 腹を立てて来ただろ。
寅子:未来の人たちのために 自ら雨垂れを選ぶことは
苦ではありません。むしろ至極光栄です。
桂場:それは 君が佐田寅子だからだ。
君のように 血が流れていようとも
その地獄に喜ぶ物好きは ほんの僅かだ。
よね:いや…。ほんの僅かだろうが、確かにここにいる。
(睨みつける女子部+轟と航一)
桂場:フフ…失敬。撤回する。
君のようなご婦人が特別だった時代は もう終わったんだな。
寅子:はて?いつだって私のような女はごまんといますよ。
ただ時代が それを許さず 特別にしただけです。
おやおやおや…
どういうことでしょうか。
あれほど「雨垂れ」を嫌がっていた寅子が、最後に「自分で選ぶなら光栄です」と言っています。
つまり
穂高先生に強いられたのなら怒りになり、自分で選ぶなら光栄だ、と言いたいのでしょうか。
散々ネガティブなものとして用いた「雨垂れ」を、ここに来て持ち上げています。
しかし、少し不自然です。「声を上げること」は、今までの雨垂れと対応した試練の重みとは明らかに違います。別の言い方のほうがいいような気がしますが。
そして何度も言いますが、穂高先生は「雨垂れでいろ」と強いてはいません。
絶賛している人たちは、寅子が祝賀会で一方的に怒鳴った内容をそのまま受け取めているようですが、38話の穂高先生のやり取りでは、何度読んでも強制的に犠牲になれという台詞・演出・演技とは読めない。もしその意図があったとしたら、それは作劇上のミスです。伝わらない。
何よりも、根本的な誤認識は改まっていません。
「石を穿つことのできない雨垂れ」つまり、無意味な犠牲という誤認識はそのままだからです。
もう一度言いますが、雨垂れは石にダメージを当てているのです。
影響を与えているのです。
一見して砕けなくても少しずつヒビを入れているのです。
おそらく、そんな微弱な力を「無意味」だと脚本家は思い、そういう価値観で構築されたドラマなのでしょう。
雨垂れ石を穿つ、を認めないという。
まあ、根本的に相容れない価値観なのです。
私は二度と、この脚本家の作品は視聴しません。
さて…
私がここまで歯ぎしりしながら文章を紡いだのは、虎に翼のためではなく、朝ドラという愛する枠を守るためです。
「らんまん」であれほど素晴らしい作品を作れた東京制作が、また戻ってしまった。
主題歌も音楽も出演者も素晴らしかったのに…
なんでここまで、狂った作品を作るのでしょうか。
何か大きな力が働いているとしか思えません。
しかし
ここまで書いたとしても、鼻で笑われ、あしらわれるのは私の方です。
蟷螂の斧。焼け石に水。ごまめの歯ぎしり。
数の上では、虎に翼は、圧倒的に絶賛する人のほうが多いのです。
それでも、私は
雨垂れであることを怖れない。
いつまでも粘り強く、穿ち続けます。
この不条理な石を、叩き壊す時まで、
「虎に翼」は放送倫理違反か
2024年の朝ドラ 春・夏枠「虎に翼」
非常に、NHKの番組として問題が在ると思っています。
以下に問題点をまとめてみました。
個人的にはもはや放送倫理を破壊しているレベルまで陥ってると考えますので、BPOにも視聴者として意見を送る予定にしております。
目次
「公平・公正」、「不偏不党」とは
NHKは何を基準に番組制作をしているのか
NHKはホームページで、以下説明をしています。
具体的には、政治上の諸問題は公正に取り扱うこと、また、意見が対立している公共の問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにし、公平に取り扱うといったことです。NHKは、意見が対立する問題を取り扱う場合には、原則として個々のニュースや番組の中で双方の意見を伝え、仮に双方の意見を紹介できないときでも、異なる意見があることを伝え、同一のシリーズ内で紹介するなど、放送全体で公平性を確保するよう努めています。
「公平・公正」、「不偏不党」とは具体的にはどういうことか | NHK よくある質問集(FAQ)
また、放送基準として以下を定めています。
朝ドラとしての「虎に翼」は基準に照らして適切だったか
朝ドラ「虎に翼」が扱った社会問題は数多くあります。
一部抜粋します。(順不同)
- 性的マイノリティ
- 共同親権
- 尊属殺人
- 少年法の厳罰化
- 在日外国人への差別
- 婚姻制度のあり方
- 選択的夫婦別氏制度への是非
- 育児休暇
- 女性法曹の社会進出拡大
- 生理 更年期障害
- 介護
- ヤングケアラー
- 少年事件の厳罰化と少年法改正
- 公害訴訟
- 原爆裁判
これらは確かに、社会全体で考えていかなくてはならないことでしょう。
ですが、だからこそ、丁寧さが必要になると思います。
時間をかけて、様々な角度で、異なる意見を同時並列に出し、偏らない番組作りが必須となるはずです。
何故なら、これこそが「意見が対立している公共の問題」だからです。
脚本家のSNSを読んでいると、自分たちにとって「常識」と思うことは「正しいこと」という価値観を持ち、作品表現に対しての疑問や批判をしている存在へ「それは差別です」とラベリングし、口を封じようとします。
それはあくまでも、彼女個人のSNSであり、彼女のいち意見に過ぎませんので、表現の自由は保障されるでしょう。
しかし、公共放送、しかも視聴者から視聴料を集めているNHKが、毎朝流す「朝ドラ」で行うとなると意味が変わります。
NHKが遵守しているはずの、放送基準や放送倫理に違反した番組を、そのまま放送してよいのでしょうか?
私が疑問に思った点を、下記にまとめてみました。
朝ドラ「虎に翼」はあきらかに放送基準から外れている
特定思想、主張への著しい傾倒
第5項 論争・裁判
1 意見が対立している公共の問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにし、公平に取り扱う。
本編で、脚本家、制作から偏った価値観で描写された「社会問題」ですが、決してそれらは「常識」として社会に受け入れられている問題ばかりではありません。現在もなお、様々な意見が交わされている最中の問題ばかりです。
例えば性的マイノリティ問題。
長い時間をかけて、少しずつ社会の認識を塗り替えてきた問題で、やっと一般人にも受け入れられ、今後、社会でどう位置づけるか議論が交わされている問題です。
しかしこの作品では、当時の価値観や反応を、現代のものに書き換えてしまい、あたかも「問題そのものは始めから無かった」ことにしてしまうという描写の仕方にしています。脚本家は「もともと性的マイノリティの人々は居たのだから、それを透明化(この文言は誤用)したくない」と語っています。もともと存在していた事実はその通りですが、周囲の価値観の方を透明化()してしまっています。
それこそ先人たちの葛藤や苦しみ、懊悩は「無かったこと」になっていないでしょうか?
作中にて、性的マイノリティの方々と、主人公と娘が話し合うシーンが有り、そこで性別適合手術を受けた方が、娘に「女の人になるために頑張ったことってある?」と訊いたシーンがありましたが、これもかなり批判されました。
まず時代考証がおかしい。そしてこれは現代のトランスカルトと呼ばれる思想に近いのでは?という指摘もありました。
これに関しては実際に一部の「当事者」の方々から、強い疑義が提示されましたが、ほとんど無視されている状態です。
この時代は、男色家はまだ政財学術文化各界で権威を持っている時代であり、彼らは妻帯もしていることが多かったし、戦後の法改正で養子縁組が両者の合意で出来ている。… https://t.co/QHz4JI3B8s
— 月清 (@tsukikiyora) 2024年8月21日
実際の人々の間でも意見が割れている問題を、片側に寄った価値観で一方的に朝ドラで主張してしまうのは、公平性を欠いていると思わざるを得ません。
あと、今作は日本国憲法を何度か引用していますが、一部文言を変えて引用した条約があります。
日本国憲法第二十四条第一項
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
の「両性」を、ナレーションでは「双方」に言い換えてました。
これも実に悪質な変更と言えましょう。
【追記】
この件については多数の意見が局に送られており、それに対するNHKの返答があまりに詭弁に過ぎる内容で驚愕します。これは局も巻き込んでの歴史捏造なのでしょうか?
NHK朝ドラ『虎に翼』、「婚姻は、双方の合意のみ」は歴史の捏造に近い|和田政宗 (2/2) | Hanadaプラス
ご指摘のナレーションは、民法の特定の条文や、改正過程で検討された文言などを引用したものではありません。民法改正をめぐる当時の状況やその内容を、視聴者の皆さまに分かりやすくお伝えするために表現しました。
なお、視聴者からの問い合わせには、同様の趣旨の内容をお答えしています。
現行憲法制定当時の解釈では、「両性の合意」は異性婚を前提にして制定してるので時代背景を無視してると思います。英文the mutual consent of both sexes(男女の合意)ですから明確にドラマ内の解釈によるミスリードです。https://t.co/IrsQrmgfwT
— 立花 真 (@tyousibou) 2024年9月26日
あと選択制夫婦別姓について。
これはまだ、各所で論議が交わされている最中の問題です。
モデルの三淵さんの事実を捻じ曲げて事実婚にしてまで、別姓問題をねじ込む必要はあったのでしょうか。
ここでも別姓である必要性ばかり説かれていて、なぜ日本では同姓になったのか?という説明は一切入りません。非常に偏向しています。
法律考証の明治大学の先生も推進派ですから、全く歯止めになっていません。
それと、序盤でも取り上げられた「親権」の問題。
これに関しては、特定政党がXにて本タグつきで取り上げ、本タグ内においても、特定の社会運動方面に傾倒している層が、視聴者を煽って共同親権問題の署名まで集めていました。これは非常に危険だと思いました。
これは作品中で描写されたものとは違いますが、今回のネットでの挙動は、今までの朝ドラのものとは明らかに違いました。
細かい意見まで監視し、批判意見を潰そうとする動きもありました。
何か特定の力が働いているのか?と疑わざるを得ません。
暴力の肯定
第6項 社会生活。
3 暴力行為は、どのような場合にも是認しない。
拙ブログでも記事にしましたが
スカッとドラマに私が「はて?」と思う理由 - 八咫烏ジラフィーヌの記録帳
この、「股間蹴り上げ行為」は、若さゆえの失敗として描写されるかもとは思って視聴していましたが、結局最後まで否定されることはありませんでした。
命を失いかねない行為。
それを最後まで肯定しています。
これはこの第6項3に抵触していると思います。
暴力行為を描写するなとは言いません。物語の展開上必要ならば仕方ないこと。
でもこの番組を作る側の放送倫理として、それを最後まで肯定し否定しない作劇はどうなのか?と強く疑義を抱く次第です。
犯罪行為の肯定
第10項 犯罪
1 犯罪については、法律を尊重し、犯人を魅力的に表現したり、犯罪行為を是認するような取り扱いはしない。
尊属殺人の問題で、父からの暴力と性暴力に耐えかねた女性が殺人をするという凄惨な事件を取り上げましたが、罪を犯した女性に対し、寅子の台詞はこうあります。
何かしらの罪を償いたいと思うことは
あなたの尊厳を全て奪って
何度もあなたの心を殺してきた相手を
肯定してしまいかねない。
これはおかしいですよね?
まず、彼女は無罪ではありません。執行猶予付き有罪判決です。
そして何よりも恐ろしいのは、相手に非があれば、殺人行為自体をしてもよい、と言っていることになります。
彼女の殺人行為を肯定している発言です。
これは、判事の台詞としては非常に危険ではありませんか?
その他、基準違反に抵触していると思われる描写
第7項 地域文化
地域の多様性を尊重し、地域文化の創造に役立つ放送を行う。
寅子が赴任する地である新潟県に対して、非常に偏見に満ちた作劇が行われていました。
第8項 家庭
結婚はまじめに取り扱い、家庭生活を尊重する。
脚本家はインタビューで
「寅子の母性をたたえるような物語にしてなるものか」
と、語っています。
まことにその通りになりました。
主人公の寅子は母親としての役目を果たしているとは言い難い。家事も育児も、他者に丸投げして放棄しているとすら思えます。
仕事との両立が難しいという葛藤の描写かと思って視聴していましたが、結局、最後まで彼女は誰にも責められることなく、感謝されて終わっています。
これは実に現実から乖離した、非現実的な描写です。
当時では考えづらい事実婚にしろ、結婚も家庭生活も、尊重しているとはとても思えません。
第11項 表現
1 わかりやすい表現を用い、正しいことばの普及につとめる。3 下品なことばづかいはできるだけ避け、また、卑わいなことばや動作による表現はしない。
4 人心に恐怖や不安または不快の念を起こさせるような表現はしない。
5 残虐な行為や肉体の苦痛を詳細に描写したり、誇大に暗示したりしない。
拙ブログの記事でもまとめましたが
それ以外にも、クソを連呼したり、言葉の選択に疑問を抱くものが大変多い。
先ほどの尊属殺人の件でも、二度も内容を詳細に読み上げたり、聞くに耐えない内容が多過ぎました。
まとめ
長々と書きましたが、最後はこれにつきます。
第11項 表現
8 放送の内容や表現については、受信者の生活時間との関係を十分に考慮する。
今作は、視ている視聴者のことを何一つ考えていない。
朝ドラ、です。朝から視ているものです。
重苦しいテーマを多く扱う割に中身は無く、暴力的で悪意に満ちた内容で、耐え難いものがありました。
社会問題を書くな、制作側の主張を入れるな、とは言いません。
むしろ半年かけて、難しい法律や、法曹界の女性進出における諸問題など、様々な社会問題を学ぶには朝ドラはいい機会だと思います。
実際、同じ法曹界を舞台にした朝ドラ「ひまわり」は実に勉強になり、良いドラマでした。法律とは何か。検察・弁護・判事の3つの視点から見事に書き上げていました。
朝ドラ視聴者はそれらを既に視ているのです。
創作側として、ある程度の主義主張が入るのは当然のことです。
しかし、対立する主張やそれを述べる存在を「悪役」に仕立て上げたり、歴史を改ざんしたり。史実を都合よく捻じ曲げたり。
主張の見出しとその結果だけを並べ、ひたすら賞賛するだけの「虎に翼」は、既にドラマではない。
もっと言えば、番組でもない。
一方的な主張を拡散するだけの、プロパガンダ動画です。
二度と、こんなプロパガンダを「朝ドラ」には出さないで頂きたい。
政治的利用もやめて頂きたい。
これは脚本家だけの問題ではありません。
先だっての国際ラジオ放送の乗っ取り事件にしても、一体NHKはどうなっているのですか?
今一度「公平・公正」、「不偏不党」の理念を振り返って頂きたいです。
虎に翼を与えるなかれ
はじめに
賛否両論吹き荒れる、朝ドラ「虎に翼」。
特定思想に傾く層にとっては、大好評のようです。
公共放送で社会問題をストレートに取り上げづらいことには理由があります。
放送倫理に基づいて、対立意見を平等に取り上げるという基準があるからです。
それについては以下ポストで書きました。
ただ、…内容云々以前に、このドラマは
「日本語の使い方が雑で稚拙。誤用や文意錯誤のものが多い」
が、あまりに目立つことが問題と思います。
今回、Xで皆さんに協力頂いて
「ここが変だよ『虎に翼』に出る日本語」を募集しました。
[ゆる募]
現在、今期台詞やインタビュー等で出てきた文言の「誤用」についてまとめています。
それ以外で「これもおかしい」というものがあれば、このポストにリプライで教えてくださるとありがたいです。
虎に翼(タイトルから…)
透明化
雨垂れ石を穿つ
虎視眈々(と突き進む)— 八咫烏ジラフィーヌ (@giraffine_gogo) 2024年9月13日
かなりの数が集まりましたので、まとめて発表します。
私個人の感想ですが、とにかく虎に翼は、本編でもインタビューでも、日本語の使い方が特殊過ぎて、その度に引っかかり、話の筋が頭に入ってきませんでした。
脚本家による文言の誤用、誤認識や、舞台となる時代(昭和初期~中期)では使われなかったであろう言い回し、雑で幼稚かつ乱暴な言葉のチョイスなど…
登場人物同士の会話が、噛み合っていないケースが多いのも気になりました。
脚本家は豊富な語彙を誇る、文章のエキスパート。
まさに「先生」の呼び名に相応しい職業だと私も思っていました。
しかし近年、脚本家は人材不足と聞きます。若手も多くなり、昔なら当然持っていたはずの知見・経験が不足している人も多いことでしょう。
朝ドラは長丁場で大変です。間違い、勘違いも人なら当然のことです。
なのでNHKにはぜひ、脚本を台本に変換する際に「校正」というタスクを追加して頂きたい。
脚本家の原稿そのままを垂れ流すのではなく、日本語の使い方、時代考証を含めて、厳しく確認し修正する「校閲」部署を設置して頂きたい。
その願いを込めて、このポストを資料として広く公開します。
皆さまも、局に「声」を届ける時、ぜひご参考・ご利用ください。
典型的な誤用例
◇虎に翼
「虎に翼」は力のある者がさらに力を得ることの例え。中国古典・韓非子の「虎のために翼をつくることなかれ」に由来します。「鬼に金棒」と似ていますが、「明鏡ことわざ成句使い方辞典」によると「鬼に金棒」は望ましいものに、「虎に翼」は好ましくないものに多く使われるそうです。(埋)#虎に翼— 日経 校閲 (@nikkei_kotoba) 2024年9月4日
いきなり、タイトルからです。
上記Xポストでも指摘されていますが、日本のことわざ「鬼に金棒」と、韓非子の「虎に翼」は、ニュアンスが異なります。
こちらのサイトにも詳細が記載されています。ぜひご一読ください。
韓非子で出てくるこの「虎」は愚かな人間、「翼」は権力の比喩です。
「虎に翼を与えれば、村に飛んで入り人を食い尽くす」という故事を引用し、愚かな人間に権力を与えてはならない、と君主に戒めています。
はて?
このタイトルは、そういう意味で付けられたものなのでしょうか?
「鬼に金棒」と同じ意味で、虎が付いているから。それが選択理由だと推察されますが、少し検索して調べればネガティブな意味の言葉とわかろうものなのに、調べもせずに、いきなりタイトルに採用してしまったのでしょうか?
タイトルを提示された時に、局の方でも確認をしなかったのでしょうか?
それとも、愚かな人間が朝ドラで勝手気ままに力を振るうことで、視聴者を惑わし、番組を破壊してしまうという、壮大な皮肉なのでしょうか?
だとしたら、これは「誤用」ではないことになりますね。
【追記】
ウィキペディアに、虎に翼は日本書紀にも引用されたことわざ、と言う説明がありましたので、そちらも確認しました。
これは、壬申の乱を述べている内容です。
勇猛な大海人皇子が、病床に伏した天皇から謀反を疑われて、自ら皇位継承権を放棄し、出家して、奈良へこもると言う展開があって、そのあと、こう続きます。
ある人が言った。
「虎に翼をつけて野に放つようなものだ」
これは大海人皇子のことを言ってると思います。
野に放つ…というニュアンスは、決してポジティブとは言い難い。皇位を狙う危険な存在が、力と自由を得たようなものだとコメントしている と考えてよいのではと思います。
◇雨垂れ石を穿つ
第38話より引用します
寅子:だから 私 せめて出産ギリギリまでは 働きたいんです
出産後もなるべく早く復帰して
世の中を変えるべく法廷に立ちたいんです。
穂高:いやいや 世の中 そう簡単には変わらんよ
「雨垂れ石を穿つ」だよ 佐田君。
君の犠牲は 決して無駄にはならない。
寅子:つまり 先生は… 私は石を砕けない
雨垂れの一粒でしかない。
無念のまま 消えていくしかない…。
そう お考えですか?
穂高:人には その時代 時代ごとの
天命というものがあってだね…
寅子:こうなることが分かっていて
私を女子部に誘ったのですか?
この言葉は物語の進行上、重要なキーワードとして何度も出てきます。
しかし、どうも視聴していて合点がいかない。
寅子が、穂高教授を死後もなお憎み続けるほどの怒りが、どうして「雨垂れ」に集約されてしまうのでしょうか?
そもそも、「雨垂れ石を穿つ」とは、たとえ小さな力でも粘り強く積み重ねていけば、成果を得られることを意味する言葉です。
ここでの雨垂れは「砕けて消える」ものではありません。例えその力は僅かでも、確実に「石」が砕かれるための力を与えている。だからその努力は小さくとも確実に効果を上げている、という前向きな意味で使われる言葉です。
名もなき人々が力を合わせ、何度も挑戦した結果が、厚い壁を壊す。何世代にもわたったその地道な努力は、必ず報われる。
私の大好きな言葉です。
しかしここで穂高教授に「君の犠牲」と言わせていることから見ても、作者は「雨垂れ」を「討ち死にした兵士」のような意味合いで使い、穂高はそれを強いた指揮官のような存在と定義づけているようです。
前向きで大好きな言葉ですので、無駄死にみたいなニュアンスで使われていると気づいた時、あごが落ちるほど驚き呆れました。
この言葉の対義語として「焼け石に水」がありますが、これならわかります。水は焼け石に何ら役に立たない。
でも、「雨垂れ石を穿つ」は「雨垂れ」は「石をえぐっている」ので、雨垂れは決して無駄な犠牲にはなっていないのです。
そもそも穂高教授がなぜこんなことを言ったのかというと、寅子が妊娠したことを弁護士事務所に言わず、貧血を起こして穂高教授の前で倒れたことが原因です。
すでに体調不良という形で眼の前で倒れた生徒に対して、休んで母子を守りなさいというのは人間としてしごく当然のこと。後日、穂高教授が事務所に行った時も「また休んで復活すれば」とまでと言っている。それを曲解して、すねて勝手に閉じてしまったのは彼女の独断なのに、それを他者の責任とする、実に他責思考で幼稚な態度と呆れるほかありません。
さらにもっと言えば、妊娠出産という個人的なイベントを「こうなることが分かっていて私を女子部に誘ったのですか?」と言い募るのも噴飯ものです。穂高教授は、寅子のライフプランまで面倒をみなくてはならないのでしょうか?妊娠する・しないについては佐田夫婦の自由意志で決めることではないのでしょうか?
長くなりました。
あとはなるべく短文で並べていきます。
◇透明化
やたらインタビュー等で多用している「透明化」という言葉ですが、これは一部界隈でも多用されているのでそのまま使ったのでしょう。しかしそもそも、透明化とは不透明なものを可視化する時に使う語であり、見えなくする場合は「不可視化」を使うのが正解です。
◇虎視眈々と突き進む
「虎視眈々と」に対応する動詞は「狙う」になります。突き進むは使い方がおかしい。「淡々と」とか「粛々と」なら意味が合いますが、単に「虎」を使いたかっただけに思います。
誤字、間違い?
・河原でサックスする→河原でサックスを吹いている
・三行半を叩きつける→三行半を突きつける
・白旗を振る→白旗を掲げる
・男女平等に近づいたと思うと“ぶり返し“が来る
→“揺り戻し“が来る
「ぶり返す」は主に病気が再び悪化する時に用いる言葉です
・国民の信頼を仰ぐ→国民の信頼に応える
国民の審判を仰ぐ と誤解しているのかも?(意味として全く違います
・いくつになっても子供の心配は尽きません
これだと子供「が」心配しているという文意になってしまいます。
→修正例「親にとって 子供というものは
いくつになろうと心配の種は尽きないものです」
・傾いた考え→偏った考え
・机上の理想論→机上の空論
・大騒ぎになるのは優未も本望ではない
「本望」は、もとから抱いている「志」「本懐」ここでは誤用。
→修正例「大騒ぎになるのは 優未の本意ではない」
「大騒ぎになったら、優未も困るだろう」など
その他、気になる言い回しなど
・心が折れる
この言葉の当時の意味は「降参して相手に譲る気持ちになる。折れる」が一般的。
現代の用法が一般化したのは神取忍さんが1987年以降インタビューや自叙伝で「心が折れる」と表現してから。今作は、昭和初期ではない使い方を多用しまくっています。
→私の記憶違いかもと思ってググった
— 弥生💃🌸🎺💐⑧🍜 (@kyk_koniro) 2024年9月20日
ほんだら、出てきた
「心が折れる」は昔も使われていたようだ
でも意味が違う
⇩ pic.twitter.com/mChJQyR1gi
→やっぱ、「気持ちが相手に向くこと」の昔の意味ではなく、寅子が連呼してた「地獄」での精神的ダメージの比喩よね
— 弥生💃🌸🎺💐⑧🍜 (@kyk_koniro) 2024年9月20日
神取系意味合いの「心が折れる」だわよね❗
少し前にチコちゃんでもやってたネタだぞ
誰も指摘しないんかいっ❗#虎に翼反省会https://t.co/t0zO4un07U pic.twitter.com/Ug2pF90wOM
・溝を作る
「(いつの間にか)できた」なら「溝」かもしれないけど、作るなら「壁」じゃないかな… 溝は「埋める」が自然ですね。いつのまにかできてしまっている感じ。
・蓋を外す、外れる
最初、タガが外れると間違えてるのかと思いましたが、それでも意味が分からないので、本気で何かの容器の蓋が外れる意味合いで使用しているのかもしれません。
・波風を立てず、立つ鳥跡を濁さずでお願いしたい!
「立つ鳥跡を濁さず」は退職や転勤の時に使う言葉。赴任して間もない人間にいうのはおかしいですよね。いずれ転任するから、ということなのでしょうが…
その他、日本語としては一応通じるけど…
■答えを出すことを手放すわ!
■家族のようなもの
■戦災孤児を「捻じ曲がった子供たち」とか「真人間に」と表現
■優三さんに「あなたの旨みは?」
■秋山が寅子に「懐いてる」というのちょっと・・・
子ども相手じゃないんだから「慕われてる」が適当かと思いました。
まとめ
つらつらと書き並べてみましたが、気になる言い回しは、細かく見ていくともっともっと出てくると思います。
私個人としてですが、時代に合わない言い方は、ある程度は許容されると思います。
ただ、この量は多すぎるかなと。ましてや、タイトルや、ストーリーの根幹にも関わる文言が誤用されているのはいただけません。
もう一度言いますが、脚本は、局側が受け取ったあと、一度校正すべきです。
その方が作者も助かるのではないでしょうか?
スカッと梅子さんに、おおいにハテ?となる理由
スカッと梅子さんの件ですが、私は全然スカッとできませんね。
そもそも寅子は「法律で人を救う」はずの人間ですよね。
ならば彼女は、法律で救うのが筋ではありませんか?
轟も、よねも、笑っている場合ではないんです。
あの場、法律家として彼らがしなくてはならないのは、
感情的になって全てを放棄すると息巻く依頼人に対して
冷静になるように説得し、交渉を継続させ、
大庭家の遺産分割協議を進め、梅子に遺産を相続させ(法定分かそれ以下)
(場合により裁判に持ち込まれるでしょうが、その時こそ寅子の出番です)
一方で姻族関係(婚姻により生じた親戚関係)を終了するための
「姻族関係終了届」を提出するように促す
ではありませんか?
せっかく、旧民法に縛られている人間たちと、
新民法で戦うというドラマ展開のチャンスだったのに、
何もいらないと放棄させて、何が「救う」といえるのか。
これが現代にも通じるドラマだ!というのなら、余計にです。
いま、離婚や相続で苦しんでいる人も多いはず。
全てを放棄していいんだ!ではなく。
「そこで法律を使えば、自分を守りながら自由になることもできるよ」
と言わなくてはならないはずです。
そのための弁護士ですよ、と。
そもそも梅子は以前、何も考えず三男を連れて失踪し、
10日も経たずに連れ戻されています。
はっきりいいます。彼女は聡明ではありません。ノープランなのです。
法律を学んだのなら、そんなことをしても後先困るとわかるはずなのに。
彼女は大学で、一体何を学んだというのでしょうか。
相続については、私も数年前、主人を喪った時に色々と体験しましたから、
大庭家の相続の話はちょっと楽しみにしていました。
現民法では、配偶者はかなり手厚く守られています。
それをひしひしと感じ、先人の皆様に感謝していましたから。
ドラマでも、その切り替えの葛藤や変遷や混乱が出るのかな…と思っていました。
なのに、相続は全て放棄?子供は失敗作だから要らない?
ほんと何いってんのかな? と思いました。
50歳オーバーの女性が、実家も後ろ盾も財産もなく一人で生きていけるほど、
戦後間もなくの昭和混乱期は甘くないはずです。
ドラマの梅子は、あの食糧難の時代に
ピカピカ白米の大きなおにぎりを
戦前と同じように大盤振る舞いで振る舞っていましたので、
恐らく彼女には、無限にお米が出てくるシステム…
打ち出の小槌やサイババのような…があるのでしょう。
でも現実はそんなに甘くないよと、
スカッとしている人たちには
老婆心ながら、一言申し上げたいですね。
スカッとドラマに私が「はて?」と思う理由
目次
- 視聴者の怒りを誘導する「記号」としてのヴィラン
- 虎に翼でも使われているヴィランシステム
- 法律を学ぶ者が暴力で解決を選ぶという暴挙
- 男性のシンボルを蹴り上げるシーンの意図するものは
- 怒りを誘導されることの危険さ
- 伊藤沙莉さんの言葉
視聴者の怒りを誘導する「記号」としてのヴィラン
かつて、「スカッとジャパン」という番組があった。
理不尽で酷い扱いで人々を虐げる「ヴィラン(悪役)」を、誰かがギャフンとやりこめて、視聴者がスカッとするという主旨の番組だ。
確かに見ていて、ヴィランの振る舞い、所業、許しがたく耐え難い人物造形で、彼らがやっつけられると溜飲を下げる思い。
これはかつての時代劇の流れを汲んだバラエティ番組だと思う。
水戸黄門や大岡越前、必殺シリーズなど、出てくる「悪役」は、いかにもという風体で、弱き人々を蹂躙し、踏みにじり、命さえ奪う時もある。40分程度で話をまとめなくてはならないので、視聴者が混乱しないように人物造形されている。彼らの背景などは省かれ、大抵は私利私欲のためという単純な動機がついている。わかりやすい。
さらにスカッとジャパンは、せいぜい10分くらいで話をまとめなくてはならないので、ヴィランはグロテスクに悪い面を強調させた「記号」でしかない。
我が家の老母や姉は大好きで、必ず視聴していたが、私は嫌いだった。
何故なら、どうしても制作側の
「さあここで怒って!酷いやつでしょう。
こいつをぶん殴ったらスカッとするでしょう?」
という意図のほうが鼻についてしまうからだ。
いわゆるモンスターと呼ばれる人格を持つ人間は、それこそリアルではあまたに存在していて、一過性ならともかく、嫌でも長期的に関係性が持続するというケースもざらにある。その鬱憤を、こう言う番組で疑似体験させ、叩きのめすことで、視聴者は一時的にもスッキリする。そういう作用はあるだろう。
だが私は、それでなくてもリアルで色々とあるのに、わざわざ嫌な疑似体験をしてまで人を叩きのめすことを快く思えない。何より、怒りを誘導操作されることが気持ち悪い。
だが先程の時代劇のように、一定層に需要があるのは理解しているし、その存在じたいは否定しない。
虎に翼でも使われているヴィランシステム
さてヴィランたちだが、彼らをスカッと殴りつけるためには、殴るほうにも、それ相応の「大義名分」が必要になる。理由もなく暴力やそれに近い行為でやり込めることは「正義」側としてはありえない。だからこそ、先程の「悪行」が、わかりやすい記号として描写されることになる。
例えば法律を学び、弱く虐げられた人々を救うために立ち上がった女子学徒たちが、一歩間違えたら命すら奪いかねない「男性の急所を激しく蹴り上げるという暴力行為」を、公的な場所で行うということは、それ相応の理由が必要になる。
長々と書いてきたが、私が今期の朝ドラに強く疑義を抱く理由は、このあたりにある。すなわち、相応の理由を視聴者に納得してもらうため、ヴィランの悪行を強調し、本来なら学校行事の進行を守る立場の大学側が妨害行為を制止しないという描写は、視聴者の「怒り」を誘導させるための「記号」なのではないか?と。
朝ドラ「虎に翼」は、徹底して当時の社会構造の不備を描写している。
昭和初期の法律における女性の扱いは酷いもので、令和の我々からすれば耐え難いものがある。そのまま描写するだけで怒りが湧き上がるのは当然だが、うまくバランスを取りながら制作していると思う。
朝ドラという媒体を知り尽くし、ネットでの反応すらも組み込んでいて、技巧的にも優れたドラマだ。
だが、どうしても制作側の「角度」として、怒りを特定の方向に誘導していないか?と、私は思わざるを得ない。
法律を学ぶ者が暴力で解決を選ぶという暴挙
私が一番疑義を抱くのは、主人公の寅子と学友らで行われた法廷劇において、妨害行為を行った同大学生の男子複数人が、彼女らの劇をヤジで妨害した件にある。
その時、学友の一人である山田よねが、ヤジをした男子学徒に対して詰め寄り、妨害学徒は彼女を突き飛ばした。その反撃として、先程の「男性の急所である股間を蹴り上げる」という暴力行為に及んだ。
だがこれは、法律を学ぶ山田として適切な行為とは思えない。
先のエピソードで「先に手出しさせればいいのに」という台詞があったことも加えて考えると、ここは男子学徒が「先に手を出した」という事実を逆手に取り、自らは暴力を振るうこと無く「これは傷害罪だ!訴えるぞ」と喝破するほうが良かったのではないか?
この程度で通常警察は動かないが、これは法廷劇。アクシデントを逆に劇の一部として取り込んでしまっても良かった。そのやり取りの間に大学側も騒ぎを制止することも出来ただろう。
しかし、そうしなかった。何故か。
「女性が男性の股間を蹴り上げる」という行為を、視聴者がスカッとさせるための便利なシーンとして使いたかったからではないのか?
ちなみに、考証されている明治大学法学部の村上一博教授の記事を読んだが、今回のくだりは一部よりお叱りも受けているそうだ。以下引用します
法廷劇そのものは、男子学生たちによる妨害によって中止になってしまいましたが(校友の方から、明治大学のイメージが悪くなるとお叱りを受けましたが、もうすぐ岩田剛典さんが登場して一挙にイメージアップしますので・・・お許し願います)
虎に翼 第3週「女は三界に家なし?」を振り返って
https://meijinow.jp/article/toratubasa/95634
前述の通り、男性の急所を蹴り上げるという暴力行為は、一歩間違えれば命すら奪いかねない。
股間の蹴り上げ方には毎回慎重にして下さい。
— Dr.ノール / 医師x不動産 (@dr_norr) 2024年9月19日
股間には精索静脈や動脈が通っており、これらが損傷すると内出血や血流の遮断につながる可能性があります。最悪の場合、精巣捻転(testicular torsion)などの緊急手術が必要になる状態に陥る可能性もあります。
これは過剰防衛である。
しかし何故その行為を選んだのか。
まとめではカットされなかった。
すなわち、制作側としては「絶対に外せない」と選んだシーンだと言える。
その上、華族の涼子にこう言わせている。
「私 法廷劇の時 ほれぼれしましたの。
私は動けなかった。
理不尽なことが起きているのに
周りの目が気になって
集まった記者が怖くて
殿方に立ち向かうのが怖くて。そんな中 あなたは怒りを飲み込まず
まっすぐに 真っ先に殿方の…。
股間を蹴り上げた。私も あなたのように 周りを気にせず
声を上げられるようになりたい。
ちゅうちょなく股間を蹴り上げられる女性になりたい」
わざわざここで強調していること、好意的なエピソードとして取り上げていることからしても、話の上では、この行為は「肯定されている」とみなしていいだろう。
劇を妨害され、罵倒され侮辱され、突き飛ばされたのだから、よねがそういう行為に及んでも構わない?
だがそれは、法律を学ぶものとしては、あまりにお粗末な判断と言わざるを得ない。
暴力で物事を解決する。
目的のためには手段を選ばない。
それは、法律とは真逆の「力による解決」である。
このドラマは、メインテーマである「法律」を否定するというのだろうか。
男性のシンボルを蹴り上げるシーンの意図するものは
男性にとっての急所は、文字通り「男性のシンボル」といえる。
一連のエピソードは、それを蹴り上げることで溜飲を下げてほしい、そういう意図があったのだろう。
男性、ひいては男性優位の社会構造そのものを蹴り上げろと。
だが、私はどうしても納得できない。
この怒りのフックは、ここまで意図的に恣意的に、強調されなくてはならないものだったのか?
声を上げられない女性たちに、怒れ、声を上げろ。股間を蹴り上げろ、男性を潰せと誘導する意図すら感じられる。
これはラディカル・フェミニズム思想に近い。
この法廷劇エピソードの皮肉なことは、この後で「本来、女医である犯人を女給に変えて、大学側が女性への偏見をもとに絶対弱者に捻じ曲げたことに主人公や友人たちが憤慨する」という流れが、そのまま、このドラマの作劇自体へのブーメランになっていることである。
「女性は弱くて声を上げられない立場にある。だから暴力をふるってよい。」
絶対弱者である女性。その前提こそが、制作者側の「偏見」であり「捻じ曲げ」になるのだから。
あと、女性についての生理現象を、男性にも理解してほしいという意図があるのなら、センシティブな男性の股間周りについても、軽んじること無く扱ってほしかった。
女性以上に、実は軽視されているのは、男性性といえるのだ。
怒りを誘導されることの危険さ
私が「怒りを誘導されること」に警戒感を抱くには理由がある。
フランス革命など、民衆を煽り立てて暴動を起こさせる背景には、こういう意図的な誘導で、デマや誇張を使って民衆の怒りを増幅させてきた扇動者が必ず存在する。
フランス革命においては、マリー・アントワネットの醜聞(デマが多かった)を女性たちに撒き散らし、彼女たちを怒りによって突き動かしてきたという事実もある。
デマやフェイクは、作るのは簡単だが、それを否定し説明することは難しく時間がかかる。膨大な情報があふれる現代においては、その危険性は過去の比ではない。
今回、ドラマのタグに乗っかり、明らかに政治的な運動に誘導している存在もいて、私は強い危機感を抱いていた。
問題意識を持つこと、疑問を持つことは素晴らしい。
しかし、どうか、どうか慎重になっていただきたい。
ネット情報は必ず疑い、別角度からの検証が必須であることを、忘れてはならないと思う。
伊藤沙莉さんの言葉
主役の寅子を演じる伊藤沙莉さんは、岡田惠和さんのラジオ番組でこう述べている。
(岡田)吉田さんの描いている脚本の世界が、すごくニュートラルでイーブンで、変な話、男の人でもすごく見やすい。
(伊藤)そうなんですよ、そこは脚本を見てホッとしたし、キャスト同士とか監督とかとも話しているのが、最近特に多いじゃないですか、女性の背中を押した作品が増えて、そういうものを描くと、どうしても女性に寄りがちというか、女性だけが苦しい思いをしたとか。もちろん昔の法律からして、すごく虐げてきたものだから、そこはちゃんと描こうと思いつつ、男尊女卑の逆になりたくないよね?というのを、すごく思ってて、そこはとっても大切にしたいって。ひとつひとつの言葉もそうだし、ニュアンスで、どこかこう、男の人が「悪」みたいには絶対にしたくない、というのを、皆で確認をとって、皆そういう意識だったから、すごく安心しました。
彼女の言葉は、視聴者としては福音である。
まだドラマとしては始まったばかり。
その誠実で真摯な姿勢を信じて、今後も視聴を続けようと思っている。
舞いあがれ!最終回に寄せて
舞い上がれ、見事な大団円でしたね(*´ω`*)
今年くらいから個人的に忙しくなったり
どうしても実家だとペースが崩れるのもあって
最近はなかなか呟く事も出来ませんでしたが
毎朝、楽しく視聴していました。
最後のほうは詰め込みすぎかな?と思いました^^;
こんねくと、空飛ぶクルマ、コロナ禍下の葛藤は
もっと時間をかけて見たかった…
特に空飛ぶクルマの制作話は、物語の根幹とも言える重要な物語。
そこに自分があまり乗り切れなかったのは、とても残念でした。
個人的にバタバタしていたからとはいえど…
あとやはり、全部 桑原さんの脚本で見たかったですね。
今後は脚本はチーム体制になっていくかもしれませんが、
それならば余計、
全体を俯瞰してディレクションできる存在が
必要になるのではないかと思います。
脚本家により方向性や雰囲気が大きく変わったり、
それぞれの領域に手出し・口出し出来ない?という状態は
視聴者として、あまり良いものとは思えませんでした。
しっかり反省して、今後に繋げていただきたいです。
まあ いきなり辛口なこと言ってしまいましたけど
とにかく、桑原さんの繊細で優しくハイレベルな脚本には
何度も泣き、感銘をうけていました。
最終回で、ばんばが「舞や…向かい風に負けんかったね。」と呟く。
もう涙なしでは見られませんでした。
舞ちゃんがパイロットにならずにIWAKURAの道を選んだとき
正直、なんで?と疑問でした。
でもよくよく考えてみると、彼女の本質は「ものづくり」にこそあった。
完走したあとに振り返ると、回り道かと思われたものは全て生かされていて、
彼女がどれほど貪欲に「自分の道」を貫いているのかがわかります。
飛行機をつくりたい。
飛行機でとびたい。
飛行機で皆をつなげたい。
と、同時に。
大好きな幼なじみと結婚して、子供を生んで、ともに育てて…
欲張りなヒロイン。でも全部やりきったヒロイン。
舞ちゃんすごい!とスタンディングオベーションしたい気分です。
桑原さんの脚本は優しいとよく言われますが
それは、甘い優しさではなく
厳しい現実で生きるときにどうしてもついてしまう傷を
覆い、守り、癒やす優しさだと思います。
本当の優しさは、その人が強くないと出来ません。
痛みと傷を乗り越え、努力した人だからこそ出来る優しさが
「舞いあがれ!」には溢れていたと思います。
そして傷つき疲れ果てた人には、その優しさと癒やしが
より実感を持って、染み渡るのだと思います。
私もなんども、ばんばの言葉や、たかしくんの短歌に救われました。
未来もずっと舞いあがれ!舞ちゃん
半年、ありがとうございました!