八咫烏ジラフィーヌの記録帳

Twitterの記録・補足のための長文用ブログです

私が「なつぞら」にハマれない理由

なつぞら

残り一ヶ月を切りましたね。
毎日ながら見のあと念の為録画でも見直してますが、ため息しか出てきません。

 

あくまでも私の推論ですが、あのドラマの何が問題かというと、その世界観を完全肯定し、心酔した人じゃないと楽しめない、そんな作りになっているのでは?ってことなんですよ。

都合セリフやナレでチラッと出た言葉だけで納得し、
作り手が「一方的に見せたい絵面」に心から感嘆の声をあげなくてはならない。

矛盾や考証無視がどんなに多くても無視して、きれいな音楽とビジョンに心酔しなくてはならない。

批判する存在は異端者だから完全否定。

 

そんな楽しみ方は…私には出来ません

 

だって、まるで宗教じみているんですもの。
信者は教祖のアラを探さない、心から敬わないとならない、否定してはだめ。
だからハマる人は狂信的になるし、ハマらないと心底不愉快になるのだと思う。
強制的に押し付けられるものが快適なわけがないからです。

 

もちろん疑問に思いつつフラットな気持ちで視聴しようと努める人もいるでしょう。

狂信的といっても幅はあると思います。

しかし演者などへの強い愛情で「余計なものは見ない、見えない」くらいのスタンスではないと、手放しで喜ぶのは難しい仕上がりになっていると思うんですよね。

 

まあ色んな人がいるので、一概には言えないのですが、やたらと攻撃的なの人が多いのも、この「宗教的ドラマ」の特徴ではありますね。

 

これが好きだ!という人も多いから、それは否定しない。
できませんが…

 

ただ、彼らが

「モデルとなった人の馬の絵が未完だったのに、全部かけて良かったね。モデルの画家さんの願いを叶えてあげたんですね」(^^

「やさしいドラマだなあ」


などと言っているのを見ると、正直ゾッとしてしまいます。
歌広場さんのコメントにも影響されているのでしょうけど…
歌広場さんはあくまでも演者さんが幸せ、と強調していますが)

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著名人レコメンドキャプチャ https://www2.nhk.or.jp/archives/comment/?v=m&ogdid=D0009051050_00000&ogvol=135

あくまでも善意から来ているのでしょうが…

ただ、
自分にとっての「良かれ」が、決して本人らのそれとは一致しない時もあるんですけど、そういう事については何も疑わないんだ…と怖くなりますね…
狂気じみた善意というか…

 

そういうところ、なんですよ…

 

まあ今日の馬の話については、演者さんへの狂信的な愛情があってこその反応なのかもしれませんけどね。彼が幸せなら、全部幸せと思ってらっしゃるんでしょうが…